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 決定力不足 本気で考えてる? 練習から生まれる「自分の形」

  11月20日 スペシャル コラム
 鳥山明先生の名作「ドラゴンボール」には知る人ぞ知る続編があるという。

 「7つのドラゴンボールを集めたババンは、”タッカラプト ポッポルンガ プピリットパロ!!出でよ、神龍!!”とナメック語で叫んだ。空が夜のように暗くなり、神龍が現れた。”どんな願いも2つだけかなえてやる。さあ、願いを言え”ババンは”FCアルマダを永久追放されている私を復活させて下さい!!”と懇願した。すると”たやすい願いだ。ババンを復活させよう。さあ、2つ目の願いを言え”と神龍。ババンは躊躇わず願いを口にした。”FCアルマダよ、いい加減シュート決めてくれ!!”神龍は困惑した表情を浮かべ”それは叶わぬ願いだ…”7つのドラゴンボールはバラバラに散って行った。神の力を超える願いは神龍でも叶えられない」

 決定力不足とは、神の力を超える不治の病なのだろうか。FCアルマダがリーガ久山で挙げたゴール数は7(イノザーギ3、ヨシダン2、久マール1、宮ーゴ1)。元来、得点力のあるチームではなかったが、他チームと比較してもこの少なさは異常である。シュートがポストやクロスバーに阻まれると、しばしば「ツキに恵まれなかった」という言い方をするが、果たして「運がなかった」だけなのだろうか。その問いの答えは、選手自身がよく知っている。システムも戦術も関係ない。はっきり言って「個人の問題」だ。

 今や伝説となっている久マールが決めた30mロングシュートが良い例だ。ハーフウェーラインから描かれた40mの美しい孤は、ボールが来たら、こう持ち出して、ここに置いて、こう蹴るという、「自分の形」を持っていた。当然、キーパーの位置を察知する冷静な頭脳、隙を突こうと挑戦する勇気、常にゴールを目指してプレイする勤勉さ、そして一握りの運が高いレベルで融合した結果の50m弾ではあるが、「自分の形」が不完全ならばシュートまでいけなかっただろう(仮にシュートできたとしても、ゴールには結びつかない)。

 これはどのポジションでも言えるのだけれど、ボールを持つ形、蹴る形といった「自分の形」を持っていない。それを自分のものにするのは、もう練習しかない。繰り返ししかない。そこには前を向いたらゴールを狙う、たとえハーフウェーライン越えたところでも、隙があれば狙う。そうした意識の問題もある。それは自信ともいえるが、なにが自信を生むのか?ひたすら練習あるのみ。仕掛けるイメージ、シュートのイメージ、シュート場面で寄せられるイメージなど思い描きながら練習することで「自分の形」というものが固まっていくのではないのか?

 決定力がない。だから、決定的なチャンスの数をさらに増やす工夫をすべきではないか。そうした方法論ばかりに目を向けて、肝心の病巣を取り除く努力を怠ってきたかもしれない。「練習でできないことは試合でもできない」という当たり前の事実が何か軽々しく扱われていないだろうか。練習の段階から、すでに決定力不足はつきまとっているのである。ゴールを奪うという作業は生まれながらのセンス、あるいはメンタルの問題が大きい。しかし、それらが練習など積んでもさほど効果がない、という結論を導くだろうか。むしろ逆だろう。特効薬などない。ひたすら練習あるのみ、である。

最後に、ゴールの決まった瞬間ほど気分のいいものはない。神の力をもってしても叶えられないほど贅沢な瞬間だ。神龍でも不可能なのは納得だ。
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決定力不足 本気で考えてる? 練習から生まれる「自分の形」

新加入ながら早くも1得点の宮ーゴ。今後が楽しみな逸材だ
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