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 意識の差が象徴する泥沼のFCアルマダ。

 第7節 VS 1990オーシャンクラブ  7月20日
 「もはやサッカーではない、ガタリンピックだ」
 試合開始直前まで降り続けた雨のため、我がFCアルマダのチーム状態のような”泥沼”で行なわれた第7節もまた完封負けの屈辱。FCアルマダは毎回毎回、あと一歩のところで勝利を逃すことを繰り返している。冒頭の愚痴もこぼれる程のグランド状態であったのは事実だが、コンディションは相手も同じである。このチーム状況を打破するためにはどうしたらいいのか、正直なところ、誰にもわからない。誰もが同じ問題をこの3カ月間考え続けている。

 問題を打開するための一つの方法は、究極的には、「FCアルマダはリーガ久山で本当に戦うつもりなのか、あるいはそうではないのか」と自問することだと思う。FCアルマダの選手は「相手が本当に強かったわけじゃない。本職のゴールキーパーがいないから負けただけだ」という言い方をする。しかし毎試合正ゴールキーパーがいないのは分かりきった事である。キーパーの差で試合を落したと”言い訳”するのならば”シュートを枠に打たさない”よう、前線からのプレスを行なうといった守備の意識を徹底すればよいのだ。

 FCアルマダ公式新聞ガゼッタ的にも、負け試合から無理やり記事を作るよりは、チームに勝ってもらって、それをネタにしたほうがはるかにやりがいがある。いいクロスが入ったとか、すばらしいパスが通ったとか、実際に勝利に結びついたプレーを取り上げるほうが生産的だ。どんなに強いチームが相手であっても、負け試合を持ち上げることには釈然としないものを感じている。

 「いい試合をした。健闘した」と前向きに考えることも必要だが、一番大事なのは健闘することなのか、あるいは勝つことなのかということを自問すべきだと思う。もちろん、いいサッカーをしてかつ勝利を収められればそれに越したことはない。だが、そううまく事が運ぶとは限らない。リーガ久山前半戦の結果は「惜しい試合」でも「健闘した試合」でもなく「負けた試合」だ。そもそも「内容は良かったが試合には負けた」などという見方はありえない。結果が悪かったということは、内容も悪かったということだ。

 よく「収穫」という表現が使われるが、厳しい見方をすれば、試合に負けるというのは結果が出なかったということだし、手ぶらで帰るということだ。負けるというのは勝負事ではゼロだ。レベルの低いチームならば強いチームに敗れても得るものはあるかもしれないが、FCアルマダはそういう段階はもう過ぎたはずだ。

 単純な話、どんなに善戦しても試合に負ければ、FCアルマダに対する基本的な評価や印象はマイナスになる。リーガ久山のランキングだってそうだ。ランキングを決める際に考慮するのは、試合の結果だけだ。「あのチームはいいサッカーをした」とか「よく頑張った」などという要素は、まったく考慮されない。「本職のゴールキーパーがいないから」も然り。基準になるのは結果だけだ。


[試合結果] FCアルマダ 0−2 1990オーシャンクラブ
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意識の差が象徴する泥沼のFCアルマダ

泥試合でオーバーヘッドを見せる二ノ・ピエーロ(道化師)
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